なぜ私がこの仕事をしているのか?
2011年8月前社長でもある親父が急死した。享年64歳という若さだった。
悲しむ間もなく、告別式の手配、社長引継ぎの手続きなどに明け暮れる中、ふと、家業を継ぐことを決意して神奈川から引き上げてきた頃のことを思い出していた。
父は、二十歳そこそこで、裸一貫、今の会社を築き上げた。不思議なことに、親父は私が子供の頃から今に至るまで、一度も長男である私に家業を継ぐように頼んだことはなかった。
大学卒業後、就職した会社をやめて、以前から考えていたレストランを経営するための準備をするか、このまま帰郷して父の家業を継ぐか何度も話し合ったものだ。
その時、何度「父さんの会社を継いでくれ。」の一言を父の口から聞けたらどんなに楽に決心できるのに・・と思ったことか。しかし、父の会社を手伝い始めて10年、社長を引き継いだ今、父がなぜあの時一言も「継いでくれ。」とは言わなかったのかが、分かったような気がする。
父は、もともと子供達の自主性を重んじる人ではあったが、仕事を手伝うようになり、小さな会社とはいえ、2代目だから簡単に継げばいいといえるほど、楽な仕事ではなかった。24時間の勤務体制、災害時・事故における緊急対応、人手不足、国の仕事を担う重責などなど、毎日がプレッシャーとの闘いだ。
それでも、不思議と次から次へと起こる壁を乗り越えるたび、従業員一人一人の成長を見る時、年間を通して道路を維持し続けることのむずかしさなど・・・父の残してくれたこの仕事に対するやりがい、熱い思いが沸いて来るようになった。父はこの思い、決意を、私に自分自身で実感してほしい。そんな願いで、決して「継いでくれ。」の一言を言わなかったのではないか。そんな風に思うようになった。
そして、父の突然の死・・。
父が一代で築いたこの会社。小さいながらも、社会の大切な一端を担う役割のある道路維持。道路というのは、人と人をつなぐライフラインだ。
父から受け継ぎ、今建設業に携わる者として私が思うこと。
未来を創造するというのは、何もないところから新しいものを造り出すという形も重要だが、古い古いといってすぐ新しいものと交換するのではなく、今まで築き上げてきたものを、しっかり維持し補修して守っていくことも私たちが未来に残していくうえで大切であると思う。
2011年に台風15号の影響で、近隣の国道が寸断された。我が社も、崩落法面のモルタル吹付工、仮橋からの擦り付け舗装工事等に携わった。
復旧に関わるすべての人の、昼夜を問わず緊急体制の中での作業は、人と人をつなぐ道路を一刻でも早く開通させたいという、プロとしての意地・プライドをかけたものであったと思う。寸断されていた道は様々な難関を乗り越え、災害発生から約10日後には開通することができた。
このように、人は仕事に行くにも、大切な友や家族に会いに行くにも、生きていくために必要な物資を届けるにも、何をするにも道を通る。昨今、全国の様々な地域で天災が起きているが、このような事態に対しても、少しでも被害を削減できるような強く、美しい道路を維持できるプロフェッショナルでありたいと心から思う。
それが、私たちが未来に残せる財産だと思う。父が私にこの仕事を残してくれたように・・。